2008年 06月 11日
今回で5年目、そうあれからもう5年も経ったんですね。 いつもは関東から八ヶ岳を目指すのですが、今回は私は一旦神戸の実家にもどりそこで友人3名を乗せて足車で大阪勢とともに八ヶ岳を目指すコースを取りました。 本当は草津でinaさん達と合流しようと思ったのですが、道の混雑等にはばまれて私たちはスケジュールに10分程遅れをとっていたために恵那峡でなんとか追いた次第。 そこに前もって連絡していた私の小学校からの親友も愛車のminiで駆けつけてくれた。実は彼は他にメイクミニと言うミニベースのカスタムカーを所有している。ボディはFRP製で形はコブラにそっくり、ミニ・コブラと言ったところだろうか。そんな彼に2006年の秋にボディのリペアをしたいが関西でどこか頼めるところはないか?と。そこでTMRの田村さんを紹介して色々と面倒を見て頂いた経緯がある。そんな事もあって現在、転勤で名古屋に住んでいる彼にもEMWの事を話したら「恵那峡でお茶でも」となった。ちなみに彼は今回私に同行した3名とも幼なじみと言う関係でもある。 いつものごとく脱線したので本筋に話を戻すと、まず今年の一番の感想はイベントとしてずいぶんと成熟したなと。その一つが参加者の方々の気遣いである。当然今回EMWに初めて参加するという方々も居たわけで、そんな人たちはどうやって過ごしたら良いのか戸惑いもあるはずで、なかなかすんなりと輪に入って来れないのがこの手のイベント初参加の人たちの常なわけだが、そんな人たちをこれまでに参加した人たちが声をかけ輪の中に呼び入れてくれてる光景が見られたのはとてもうれしかったです。 最初の頃はどうやってイベントを楽しむか、と言う戸惑いが参加者の方々にはあったと思うのですが、いまではそれぞれがこのイベントの楽しみ方を持っていてそして初めてに方達を牽引する、本当に成熟したなと感じた2日間でした。 だからと言う訳ではないのだろうがパートナーである奥さん、彼女を連れて参加してくれる方が増えて来たのもうれしい限りである。中には女性のオーナーの方もいらっしゃるけど、大半が男性の集まりに参加して、そして楽しんでもらえるのもEMWの特徴かもしれない。 ちなみに今回、私と同行した私の幼なじみ3名の女性は恵那峡に到着するまでエリーゼそのものも知らなければ、この手のイベントにも全く縁もないのだが先日帰省した際に彼女たちにあった時に私が語ったこのイベントに興味を持ち、そして参加する事となった訳だが、帰り際に車内でボソッとこういった。「なんか寂しいね。」と。 うれしかった。とってもとってもうれしかった。私が初めてエリーゼで大阪へ行った帰りに高速道路でみんなと別れるのがとても寂しかった。たった2日間一緒に居ただけなのに。そして最初のEMWの時も、その次も、たった2日間一緒に居ただけなのに買える時にはとても寂しい気持ちになる、そして「また今度」と約束して別れる事の出来る事に幸せを感じる。エリーゼの集まりに全く縁のなかった彼女たちにもそんな気持ちになってもらえた事がこのイベントの評価かなと個人的には感じだ次第です。 折角なのでMikiさんのエリーゼをお借りして3人を順番に乗せてちょっとドライブしてみました。 ジャンケン大会にも参加して、なんとエリックスの宿泊券をゲット! みなさん本当にありがとうございました、そしてお疲れさまでした。 #
by okawa57
| 2008-06-11 20:12
| East Meets West
2008年 03月 13日
諸般の事情にて投稿をお休みをさせて頂いています。 訪問してくださる皆様には本当に申し訳ございません。 再開の目処がつきましたら改めてご報告させて頂きます。 さて、今回はちょっと標題の件にて個人的にご質問を頂いたので整備書の写真をこちらにアップするだけというブログの本筋からはちょっと逸脱してますがなにとぞご容赦ください。 まずアッパコラムのマウント側の緩め方です。 メータ周りをバラしてメータが固定されていたプレート(instrument pack support bracket)の左右にあるステアリングのシャフトの左右を止めているボルトを緩めます。写真だと丁度鉛筆の上あたりに一本(右側)。左側は鉛筆に隠れてしまってますね。すみませんm(_ _)m これは緩めるだけで0K・・・だったと思う(だいぶ前なので忘れましたが、まずは外さないでトライしたと記憶してます。) 次に鉛筆でさしている前後方向を固定しているボルトを外します。これでアッパーコラム側は前後方向にフリーになります。 次に運転席の足下に潜り込んでステアリングラック側のユニバーサルジョイントのネジ(鉛筆で示している所)を緩めます。 ここはかなり固く固着しているのでプラスチックハンマーで軽く叩いたりして外れやすくしておきます。 最後に運転席に座ってステアリングを持って手前に引っ張ってジョイントを抜きます。 後は、再び運転席と助手席の足下に潜り込んでステアリングラックを固定している左右それぞれのネジを緩め、上手くステアリングラックを回転させて引き抜きます。 これに関してのコツや外しておいた方が良いリベット(ナッター)などは以前のブログを参照して頂ければ良いかと思います。 こんなもんで如何でしょ? #
by okawa57
| 2008-03-13 21:27
| 「かたーる」日記
2007年 07月 21日
すっかり更新のペースが月イチになってしまった感がありますが、まずは7月14〜15日に例によって十勝で行われたザウルスjrレースのレポートなど。 写真は決勝の一コマ。チームメイトと二人でがんばって追い上げている、の図。ちなみになぜ追い上げていると表現したのかはまた後で(^^ゞ さて、毎年7月のクラブマンカップは十勝24時間レースのサポートイベントとして開催されるためサーキット全体が賑やかである。が、しかしそんなサーキットの雰囲気とは対照的にお天気はどんよりとした空とそして雨。気温も10度前半がやっと、とても夏とは思えない寒さで我々のピットでもストーブを出して来たしまつである。寒がりの私はもちろん冬用のジャンパーを引っ張りだして着込んでいたが、パドックを見渡すとみな冬の様な格好をしている。 ザウルスを保管してあるサーキット内のガレージの窓から。てるてる坊主のその先に8コーナーをアラビアンオアシスのZが走ってます。 それにしても今年は天候に恵まれないなと。第1戦の時も前もってサーキット入りしたものの雨であまり走り込めなかったた事もあって今ひとつ完全に車に乗り切る事ができなくて単独スピンを喫した事から順位を落としてしまったこともあり今回は事前に仕事を調整して木曜日からサーキット入りをしたのだが・・・結局は雨で走れずとなってしまった。しかも今年の24耐は久しぶりのグランプリコースでの開催。十勝スピードウェイはHPなどを見ていただければ分かるのだが、グランプリコースというフルコース(5.2km)を通常はメインスタンド寄りのクラブマンコース(3.4km)とジュニアコース(1.7km)に分けて営業している。普段開催されているクラブマンカップや昨年までの24耐レースもクラブマンコースで開催されていたのだが今年は久しぶりに(たしか5年ぶりくらいだったと思うが・・)グランプリコースで開催と言う事も有り、普段は走る事の無いレイアウトが含まれているので私としては是が非にもマイルを稼ぎたいところである。今回は久しぶりのグランプリコースでの開催という事でサーキット側も今回のレースに参加する人たちの為に事前にグランプリコースを走る機会をと合同練習日をレースの1週間前に準備してくれていたのだが、私は仕事で参加が出来なかった。なので私だけ出遅れた感が有り、内心は非常に焦っていた。がこればっかりはどうしようもない。 せめて小雨なら1本くらいは走ろうかとも思ったが、事前に調べた週間天気予報では翌日からは曇り、そして予選日と決勝日は晴れの予報だったこともあり無理にウエットコンディションでマシンを壊してはと考え、この日の走行を断念していた。後にして思えば実はこの判断がのちのちの走行に、そして決勝に大きな影響を及ぼしたと思うのだがこの時点ではもちろん気付く由も無かった。 夕方には雨も小雨になってきた。 この日も精力的にテスト走行をしていたDENSOのハイブリットスープラ。曇りという事も有って4時過ぎるとすでに暗くなりはじめ、走行車両はみなランプを点灯し始めた。 あけて翌日、起きてすぐにホテルから外を見る。天候は曇り、道路はまだ濡れているが湿度の低い北海道ではこれくらいはすぐに乾くだろう。朝サーキットに近づくとちょっと霧雨まじりだったのでこのまままた天候が崩れるのかと心配したが、練習走行が始まる頃にはすっかり霧は晴れたが空にはまだどんよりとした雲が居座っている。路面はまだ所々濡れているがライン上は乾きつつ有る。気になるのは前の練習車両がインカットした際にコース上へと持ち出した泥が丁度クリップ付近に散乱している事か。走行しているうちに練習走行が始まった。最初はコースのリズムを掴む為に走り、徐々にペースアップをして行く。走行を重ねるごとに路面のコンディションも回復し4本目の練習走行を終えた時点、当初目標としていたタイムは何とかクリアすることが出来た。これで明日の予選は中盤か上手く行けばもう少し前に行けるかな、とちょっと手応えを感じてこの日の練習を終えた。この日はチームメイト、そして同じザウルスに参戦している帯広在住の友人と食事の約束をしていたので、練習を終えると早々にサーキットを後にし3名で食事に出かけた。 14日の朝、この日も起きるとすぐに窓の外を見る。どうしても天気が気になって仕方が無い。と言うのも天気予報が全く当てに成らず一向に晴れる様子は無いどころか台風4号が近づいているからである。テレビも付けて台風情報をチェックする。しかしどうやら台風は決勝日の夕方に関東地方を通過するらしく、あまり北海道への影響は無い様子。そしてこの日もサーキットに着くと空はどんよりとした曇り。気温もあまり上がらず、ピットではストーブに火が入る。 この日は朝1本だけ練習走行が有り昼から予選の予定。前日よりは少しだが気温も上がり(と言っても16度くらいだったけど)今までの中ではまだ良いコンディションで予選を走った。 前述のごとく今回は1周が5.2キロと長いコースでの開催にも関わらず、予選時間は今まで通り15分。朝の練習走行で趣味レーションしてみたが、どうがんばっても4周〜6周が精一杯。 と言う事で失敗しても次のアタックは無理な予選に成ると踏んで、誰よりも早く準備してピットロードの先頭にならんでコースイン。これが良かったのかどうかは別として5周目のアタックでなんとか30秒台(がんばれば出せるかも、と思っていた想定予選タイム)をクリアする事が出来た。そしてまだ後1周行けるなと言うところで後ろに居たチームメイトが前へと出てスリップで引っ張ってくれて6周目へ突入。このスリップのおかげで想定タイムより0.5秒ほど速いタイムの2分30秒前半、ともすれば29秒台と言うタイムで予選を終了。 暫定結果をもって帰って来たメカが開口一番「おーかわさん予選3位ですよ」と。これは自己最高位。チームメイトは予選2位。さすがにフロントロー独占とまでは行かなかったがなかなかの結果と成った。 翌日の決勝グリッドでの一こま。 この日もホテルに戻ったあと、例によってチームメイトと二人で夕食にに出かけた。 ちょっとおいしいイタリアンのお店を見つけ、そこで二人でワインを飲みながら「明日はがんばってワンツーフィニッシュ!」と言っていたのだが・・・なかなか勝利の女神はこちらを向いてはくれない決勝となってしまった。 (ToT) ・・・つづく #
by okawa57
| 2007-07-21 18:07
| 「かたーる」日記
2007年 06月 04日
East Meets Westに参加の皆様、おつかれさまでした。 まずは集合写真の一コマ こうして見ると色とりどりの、そして様々なタイプの新旧エリーゼが勢揃いしてます。 EMWも今年で4回目を迎え、参加される方々も2回目以上の方が増えたからでしょうか 「元気にしてた?」 「久しぶり」 そんな声があちらこちらで聞こえて来て、とても暖かい気持ちになりました。 また女性同伴もしくは家族での参加される方も増えて来た様にも感じました。同じ趣味の(困った)旦那をもつ奥様同士の交流もまたこのイベントの一つの意義と成って来たのでしょうかね。 いずれにしろ参加者同士が積極的に交流を持つ姿が第1回開催の時に比べて多く見ることが出来、このイベントが回を重ねるごとに成熟してきたなと感じた次第です。 私も久しぶりの再会を果たした友人の元気そうな顔を多数見る事が出来、そして近況を報告し合ったりと本当に楽しい時間を過ごすことが出来ました。 いつもの感じる事なのですが、不思議な物でエリーゼ乗りが集まるとあっと言う間に仲良くなり、短い間しか一緒に居なくてももう何年も友人だったかの様な気持ちに成り、そして分かれるときに何とも言えない寂しい、そんな気持ちに成ってしまいます。 そして特別な事をする訳でもないけれど、顔を見て他愛の無い話をする事の大切さを感じます。掲示板の様な文字のやり取りだけでは伝わらない事が伝わるからでしょうか。 こんな気持ちが原動力と成るからでしょうか、全国各地でもオフ会が開かれる機会もここ数年で増えて来た様に感じます。 ネットと言う物が発達して来たからこそ、住んでいる地域に関係なく情報交換やオーナー同士の交流が出来る様になった反面、やはりface to faceで語り合う事の大切さをこの様な機会があるたびに強く感じます。 そう言う、私のこのブログも文字だけ(写真も有るけど)の世界、文章力の無い私ではおそらく自分の気持ちの半分も伝える事は出来ませんが、これからも宜しくお願いします。 #
by okawa57
| 2007-06-04 21:41
| East Meets West
2007年 05月 23日
抜ける様な高い空、この様な晴天を「十勝晴れ」と言うらしい。 予選を走り終えてピットの外で空を眺めているとピットクルーの人がぽつりと一言、「いや〜見事な十勝晴れですよ。」と教えてくれた。 先週の水曜日、滞っていたブログの更新をしようと思いPCに向かっていた時に一本の電話が入った。夜も遅い時間にN師からの電話は珍しく、急ぎの用事かと思い電話に出たところ田村さんの訃報を伝える電話だった。 知らせを聞いたその後の事は自分でも覚えてないのだが、しばらくは何も手に付かずボーッとしていたと思う。本当に何もしていない空白の時間をどれくらい過ごしただろうか、時計の針が深夜2時を超えたあたりでやっと我に返り、そして書きかけのブログの原稿を消去してから部屋の明かりを消した。 翌朝になってからもまだどこか気持ちが落ち着かなかったのは、おそらくは頭では理解していても心で受け入れられなかったからだろう。しかしEOSを通じて訃報が伝えられ、そしてレスがどんどんと長く下へと重なって行くにつれいよいよ追いつめられた様な気持ちになってしまい、最後まで自分ではレスが付けられないまま週末を迎える事となってしまった。 この週末、私は十勝で行われているザウルスJr.レースの開幕戦に出場するため金曜日に帯広入りをした。十勝の天候は雨、帯広空港におりると身震いするほど肌寒く、手荷物所に下りる階段の途中で我慢出来ずに準備していた上着を着込んだ。今年の北海道は4月に入ってからの天候が今ひとつ不順だったせいもあり5月に入ってもまだ気温は20度を超える事が少ないらしい。 実は5月連休の合間と終わりに2度、練習走行をする為にサーキットを訪れているのだがその時も気温が上がらず、この寒さは予想していたので飛行機を降りてからすぐに取り出せる様にと手荷物に上着を丸めて入れておいたが早速役に立つ事となった。 今回はスケジュールの関係で金曜日に十勝入りをするもサーキット入りは翌日土曜日からとなった為、空港からバスで市内のホテルへと直接向かった。いつもなら、なじみの店で夕食をとるのだが何となく気分が乗らずデパ地下で赤札の付いた刺身とカップ酒を購入し、ホテルの部屋で一人で故人を偲びながら夜を過ごした。翌日になれば否応にも気持ちを切り替えなければ、とそう思いこの日は早めに床に付いた。 翌朝起きてみると取りあえず雨は上がっているものの天候は曇り。ピンポイント天気予報では15時から雨となっているが昨夜の予報だと12時から雨となっていた事からして天候は回復に向かっているのだろうかと、そう思いながらサーキとへとレンタカーを走らせた。途中、空港でチームメイトと合流し午後の走行へと準備を進めるが、どんよりと曇った空のせいかあまり気持ちが乗らない。そして午後の走行2本目、ピットロードに出たあたりから雨が落ちて来た。時刻はちょうど15時を過ぎたところ。最近の天気予報は良く当たるなと思いつつコースインするも途中で雨脚が強くなりピットへと戻ったところチームメイトが先に戻っていた。二人とも車に乗ったままピットで様子を見ていたが他の走行車両のラップタイムが上がらないのを確認して走行5分前に車から降りた。結局この日はこのまま雨が上がらず、走行を打ち切った。 この日の夜は十勝で知り合った軽自動車耐久レースの友人たちに夕食に誘われていたのでチームメイトと二人でお店へと向かった。もっぱら車の話題で遅くまで賑やかな時間を過ごすことが出来た。 レース当日、起きてすぐに窓の外をみる。ホテルの前の道は乾いている。まだ曇り空ではあるものの空は明るい。 この日のスケジュールは予選がお昼から、決勝は午後3時過ぎからとかなりゆったりとしたスケジュール。このまま行けば天候はもう少し回復するかなとか考えながら朝食をとった。 サーキット入りをした後は、参加確認、車検、メディカル、そしてブリーフィングと慌ただしく過ごし気がつけば予選開始の時間。ピットロードに出てみると真っ青な空が視界に飛び込んで来た。なんだか急に気持ちも晴れた様な気がした。ともかくここ数日のもやもやした気持ちを振り払うかのごとくガムシャラに走った。いつもなら途中でエアーを合わせたりするのだが今回はおかまいなし、後半はタイヤの発熱がピークを越えクリップではオーバードライブになってしまったがそれでもアクセルを踏み続けた。 最終ラップ、ピット前を通過するとピットクルーがガッツポーツと共にピットサインを出している。これまでどうしても破れなかった37秒の壁を越えていた。36秒8のピットサインと共にチェッカーを迎えた。結果、ポールポジションから遅れる事約0.7秒。予選5位(9台中)と自己最高グリットからの出走となった。 初めての5番グリット。メカのK谷氏が出走前のアドバイス。「よ〜く、タイヤ暖めてね」、と。 さて迎えた決勝、オープニングラップで順位を一つ上げ4位を走行するも、事前の練習走行不足が災いし序盤からタイヤを上手く使えず中盤で単独スピンを喫してしまった。決勝の路面温度が思った以上に上昇したのもあり、少しオーバースピードかなと思った瞬間、立ち上がりでこらえきれなかった。後続車両に迷惑になら無いようにと、スピンする車をコントロールしてなんとか走行ラインから外れたところで車を止めた。その目の前を後続車両が通過して行く。これで6位に転落。アクセルターンですぐに体制を立て直して後を追う。残り4周で前を行く車両をとらえたが1周は様子を見ながらタイヤをいたわって後ろを走った。翌周のメインストレート、十分にスリップを使いこれなら行けると勝負を掛けて1コーナーで前に出た。これで5位に復帰。しかし思ったほどペースが上げられず翌週には逆にスリップに入られてしまい順位が入れ替わった。最終ラップを後ろから勝負を掛けざるを得なくなり最終コーナーまで勝負は続く。なかなか前に出られず最終コーナーでもう一度真後ろへ付ける。こうなったらメインストレートで勝負を掛けるしか無い、そう思っての事である。最終コーナーを立ち上がってスリップストリームから横へと並ぶがフィニッシュラインには届かず。0.127秒差で6位でチェッカーを受けた。 私に取ってレースはあくまで自分の趣味として参加しているので、誰の為でもなく自分の為にレースを戦っています。でも一人でレースは戦える訳は無く、これを支えてくれているスタッフや友人が居ます。失敗やクラッシュをして落ち込んでいるときは励ましてくれ、タイムが出ると喜んでくれたりもします。その気持ちに応えられる様に、そしてそれは単なる結果よりも何よりもどれだけ納得のできる走りをする事が出来るか、を念頭においてレースを戦う様に心がけています。気持ちの上で一緒に走っている、それはともすれば自分の思い上がりかもしれませんがでもそう思う気持ちも大切かと思って走っています。 決勝のグリッド。出走前のこの時間帯に私はをいつもの一番緊張するのを知ってかメカのみんなは会話が途切れる事無いよう、とりとめの無い話をしたり記念写真を撮ったりと色々と気遣ってくれます。 メカニックの人たちとは別に、私にはこれまで気持ちの上でずっと一緒に走って来た人が居ます。私がまだ岡山でマーチカップに参加していた頃にお世話になっていた稲垣レーシングエリアの稲垣勇氏です。東京から遠征してくる稲垣氏のチームからエントリーする事も有りました。「就職したら東京へ出ておいでよ。面倒見たげるから。」その言ってくれた数ヶ月後に稲垣氏はこの世を去る事となってしまいました。この時、私はテスト走行の為に岡山へ向かっている稲垣氏をサーキットで待っていました。時間になっても到着せず、雪も降って来たので嫌な予感がして携帯へと連絡すると氏の息子さんが電話にでて、そして前日に倒れたとの知らせを受けました。就職試験を受けて上京が決まったよと報告をする間もなくそのまま帰らぬ人となってしまいました。 十勝スピードウェイの中、何台ものザウルスJr.が置かれているガレージを散策している時、その片隅に稲垣氏が組んだエンジンがひっそりと置かれているのを見つけました。氏の組むエンジンはブロックが蛍光グリーンに塗られているので一目で分かるんです。その世界では有名な稲垣エンジンをここ十勝で見つけた瞬間、なんだか久しぶりに再開した様な気がしてその後も時々、用事がなくてもエンジンを見に足を運んでしまう事があります。 それとは別に私の持ち歩いてるサーキット用バインダーの内側にはinagakiと書かれたチームステッカーが張ってあります。そのバインダーを開いては彼を思いそして一緒に走っています。氏の事を思い出す事で自分の気持ちが折れそうな時の支えになって貰っている、というの所もあるのかもしれません。ちんたら冴えない走りをしているときにはいつもの口調で「なにやってんの〜」と言うのかなとか。 逆にいい走りが出来たときはいつもの調子で「これなら行けそうだね〜」って言ってくれるのかなとか。そうする事でこれまで、特に良い結果が残せないときでもこうしてがんばってレースを続けてくる事が出来た様に気います。10年以上経った今となっては、悲しみの先に、ほんの数年でしたが稲垣氏とサーキットで同じ時間を共有出来て良かったと思える今日この頃です。 時間がかかるとは思いますが田村さんもいずれは私の中でそういう存在になるのでしょうね・・・。 今年も八ヶ岳で一緒に飲んで酔っぱらって、車の話をしてそして潰れて寝てしまうかな、なんて思っていたのに、そんな当たり前の事がもう出来ないのだなと思うと寂しくて仕方ありません。思えば初めて大阪をエリーゼと訪れた時、向かった先はTMRでした。そこで出会った沢山の仲間こそが田村さんが残してくれた一番の宝物の様に感じています。この所、諸事情でエリーゼの集まりからは少し離れておりましたが、これを機にオフ会等に参加する機会を増やそうかと思っております。そうする事でいつまでも田村さんの事を心にとどめておこうと思っています。皆様、これからも宜しくおつきあいお願い致します。 さて、この週末は田村さんに「すっごく、がんばったよ。」と報告出来るような走りをしよう、これまでで一番の走りを、と心に決めてサーキット入りしました。どうして、と言われると自分でも分かりませんが、たぶんそうする事で自分也に田村さんの死を受け入れようとしていたのかもしれません。そうでもしないと受け入れられない程のショックだったと言う事だけは言えると思います。 そのくせ、なかなか気持ちが切り替えられず直前までいわゆる「スイッチが入らない」状態でした。さて、結果はどうだったでしょうか?「ま、しゃ〜ないんとちゃうか。やるだけやったんやから。次がんばればえーやん。」そう言ってくれたかどうかはわかりませんが、なんとなくそう言って笑ってくれている様な「十勝晴れ」の下で戦った開幕戦でした。 文末になりますが、皆様と同様、今はただ田村氏の早すぎる死を惜しむ気持ちでいっぱいです。心よりご冥福をお祈り申し上げます。 またご遺族、関係者の方にはこの場を通しまして心よりお見舞い申し上げる次第です。まだ大変な時期とは思いますが、どうぞお体にさわらぬ様ご自愛頂きたいと思います。大川 #
by okawa57
| 2007-05-23 16:01
| 「かたーる」日記
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